「教員を辞めるのは逃げですか?」子供と関わることだけが社会貢献だと思い込んでいた過去の私へ

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私事ですが、妻の妊娠が分かりました。 エコー写真を見た時、喜びとともに、背筋が凍るような思いがしました。 「もし私がまだ教員を続けていたら、この子は存在しなかっただろう」と確信したからです。

当時の私は、学校こそが全てで、それ以外の生き方を知りませんでした。 今回は、外の世界に出て初めて気づいた「社会は誰かの仕事で回っている」という事実と、これから親になる私が感じている「命の責任」についてお話しします。 一般企業への転職は、決して「社会的な責任からの逃げ」ではありません。むしろ、責任の形を変える前向きな決断なのです。


学校の外に出て知った「社会は誰かの仕事で回っている」という事実

教員時代、私はどこか「教育だけが尊い仕事だ」と思い込んでいました。 利益を追求する一般企業より、子供を育てる自分たちの方が「社会貢献」していると、無意識に信じていたのです。

しかし、一歩学校の外に出て、その考えは「狭い世界での思い上がり」だと気づかされました。

  • 誰かが整備した電車が、毎日定刻通りに人を運んでいる。
  • 誰かが開発したシステムが、遠く離れた家族を繋いでいる。
  • バックオフィスの仕事も、見えないところで誰かの「困った」を解決している。

社会は、無数の「誰かの仕事(ビジネス)」によって支えられています。 教員もそのパーツの一つに過ぎず、決して特別ではありません。 この当たり前の事実は、学校の中に閉じこもっていては、なかなか見えにくいものでした。

「数百人の生徒全員に責任を持つ」という錯覚

視野が広がり、教員という仕事を客観視できるようになって、もう一つ気づいたことがあります。 それは、現役時代に抱いていた「生徒全員の人生を背負う」という使命感が、実はある種の「傲慢」や「錯覚」だったということです。

人ひとりの人生は、教員が丸抱えできるほど軽くはありません。 40人のクラス、数百人の学年…。その全員に対し、一人の人間が責任を持つことなど、本質的には不可能です。

「責任」という言葉に酔いしれて、自分を犠牲にし、結果として疲弊していく。 それは本当に子供たちのためだったのでしょうか?

正直、教員を辞めた時もまだ私には錯覚がありました。ありがたいことに、これ以上ないくらい生徒や同僚の先生方から惜しまれたからです。「負担は多いが社会的に大事な仕事から逃げちゃったかな、、、」と素直に感じました。しかし冷静に振り返ると、それは驕りに近い考え方だったなと思います。

もちろん、長年教員を続けている先生方が貴重な存在であることは変わりません。しかし、人間の価値に差があるわけではありません。ひたむきに働いて社会を支え、それぞれの場所で次の世代を育てることが最大限の責任であり、それ以上はない(責任を感じすぎ)と考えています。

たった一人を育て上げる「親」としての責任

転職して余裕ができ、自分の子供を迎える準備をしている今、改めて感じます。 「たった一人の我が子を、20年かけて一人前の人間に育て上げる」 これこそが、何よりも重たく、逃げ場のない責任なのだと。

教員時代は、次から次へと流れてくる生徒たちに対応することに必死で、自分の家庭を持つことなど想像もつきませんでした。 もしあのまま続けていたら、「何百人の生徒のために、自分の子供(未来の家族)を犠牲にする」という選択をしていたかもしれません。

私の場合は極論に近いものになってしまいましたが、自分の子どもや家族を大切にするマインドがとにかく大切ということは間違いないと思います。自分が担任をやっている生徒の方が大事、とは間違っても思わないように(錯覚しないように)しましょう!

まとめ

今、転職を迷っている先生へ。 「教員を辞める=社会貢献を捨てる」ではありません。 社会には無数の貢献の形があり、あなたは場所を変えるだけです。

そして何より、「あなた自身の家族」を大事にしてください。 数百人の生徒の担任には代わりがいますが、あなたの家族にとって、あなたはあなたしかいないのですから。

もし今、激務の中で「家族を持つ自信がない」と感じているなら、一度外の世界を覗いてみてください。 転職する気がなくても、「世の中にはどんな仕事があるのか」を知るだけで、驚くほど心が軽くなりますよ。

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